先日提出したレポートにからんで、
シモーヌ・ヴェイユという人を知りました。
例によって文献は斜め読みなので、あまり深く彼女の思想に触れられたわけじゃないけど、どうも共感できない人でした。
子どものころからすごく優秀な人だったのだろうと想像できます。
それなのに、どうも自己肯定感の低さに囚われた人に見えてしまいます。
名門校の教職を捨て、工場労働者として働き、スペイン内戦では人民戦線派義勇兵に志願、ロンドンではレジスタス活動に加わり、戦争の悲惨さに抗議して自ら“緩慢な死”を選びます。
カトリック教会に深く共感しながら、洗礼は受けませんでした。
徹底的に被抑圧者側に立とうとする彼女のある種の頑なさはいったい何なんでしょう。
いろんな社会活動にのめりこんでいく人々というのは珍しくありません。
個人の私生活を犠牲にして身を粉にして活動する人々を賞賛する人も多いです。
でも、なんだかその姿に違和感を感じるのなぜでしょう。
「徹底的」というのはある意味で容易なことかもしれません。
ブレーキの壊れた車のように、ハンドルを固定してひたすらにアクセルを踏み続けるのですから。
「徹底的」でない「中途半端」な私たちは恐る恐るアクセルを踏み込み、
迷いながらブレーキをかけたり、あちらへこちらへハンドルを操作したり、
ときには止まって周りを見回し、疲れた自分に気づいたり。
こうしてみると、突っ走らないでいることはとても手間隙のかかることですね。
がむしゃらに、まっすぐに、突き進めない自分をダメだなぁと思うことも多いけど
「中途半端」という難しさをこなしている自分もたいしたものかもしれません。